実は、僕は京都の職人の家に生まれたんです。父も祖父も曽祖父も、代々着物に家紋を手で描き込む職人です。でも、その世界が大嫌いだった。家紋を描くというのは、一日中机に座ってやるすごく細密な仕事。自分の性格として外に向けていろいろやるのが好きだったので、やりたい仕事じゃなかった。中学、高校を卒業していったんは地元の大学に入りましたが、マスコミの世界に行きたくて立教大学に入り直しました。マスコミの世界に行きたかったのは、自分自身がいろんな場所に赴いて、多様な文化に触れたいという思いがあったからです。
大学卒業後は『日経トレンディ』の記者になり、その後『Number』に誘われてスポーツジャーナリストになりました。それから約10年間は寝ても覚めてもスポーツの世界を追いかけていましたね。結果的にスポーツを追うことになったけど、昔からスポーツをやりたかったわけではないんです。何かを伝えたいというのが最初にあって、たまたまスポーツに巡り合った。そして、スポーツを通して、スポーツ以外の音楽やファッションといったクリエイティブなつながりや人脈ができてきた。そこで、そうしたものを使って、スポーツの雑誌を作るだけじゃなく、さまざまなメディアを通じて、切り口やテーマを変えて、文化を発信したいと考えて「クリップ」を設立しました。
衣食住、文化、遊び、すべて含んで、それぞれの魅力を引き出して、クリップして、新しい見せ方や表現にする。それが僕の仕事です。現在約30のプロジェクトを同時進行していますが、多方面からお声がかかります。
一例を挙げると、石川県のJAに東京で何かできないかと依頼され、東京のレストランと組んで、石川県の食材だけを使ってイタリアンを作るといった展開をしています。石川県の人は農作物を一生懸命作っているが、それをどう発信するかのノウハウがない。そこで、ヒトとモノとコト、上手に組み合わせて発信するということをやっています。
それは世界に向けてもやっていて、少しずつですが日本酒を世界に持っていくということもしています。ニューヨークの人は日本酒を飲みたがっているけど、いい日本酒を飲んでいないからダメなんですよ。だからニューヨークの人に日本酒をちゃんと伝えてあげるというようなこともやろうとしています。
フランスでは、フレンチの天才シェフ、アラン・デュカスのレストラン「ブノワ」で、レストランを一つのメディアにして、フランスと日本の文化をクリップして発信しよう、という計画も。
京都とフィレンツェのビジネスマッチングもしています。たとえば、イタリア家具カッシーナと京都の布団屋さんの組み合わせ。面白いですよね。このように、相性のいい文化と文化の組み合わせ、そこで作られているもののマッチングを考えたりもしています。
京都が嫌いでいったんは飛び出したけど、やっぱりなぜこうして京都と関わる仕事をしているのかというと、京都は魅力的だし、それを伝えられていないからです。
35歳を越えてから、また世界を見て初めて見えてきたものがたくさんあります。京都全体の持っている空気観、世界観。そういう歴史を育んできた京都の町衆は、外から客観的に見ても魅力的だと思う。
家紋の仕事も、昔は狭い視野しか見えてなかったから、京都の職人の地味な仕事としか映らなかった。でも、今は父親や家紋の仕事を代々引き継いできた祖先を尊敬しています。だから、何か伝えたいという気持ちはすごくある。家紋を手描きするという仕事は継げていないけれど、家紋の文化を伝えたい。
今、自分の家の家紋が分からない人が多いですよね。そういうのをちゃんと分かるように伝えてあげたりもしたい。それは、地域の活性化にもつながるし、何より自分のルーツを探ることは今の自分と未来の自分を真剣に考えるきっかけになる。究極的に何がやりたいかというとそういうことですね。