関西大学の法学部を卒業してから弁護士になろうとしていましたが、なかなか受かりませんでした。難しい試験で8、9年ぐらいやってましたかね。
そうこうするうちに両親が病気で亡くなり、おばあちゃんも亡くなり、天涯孤独になってしまいました。
気力も萎えて、何したらいいかという感じになって。バブルが崩壊したばかりで良い仕事が見つかりません。大学の時に取った宅建の資格があったので、不動産会社を受けようとするも採用を控えている様子。
じゃあ自分でやるしかないということで、祖父が残してくれたこの家もあったのでそう決意しました。まずは小さい会社で働いて勉強させてもらおうと思い、賃貸に半年、売買に5~6年いました。
そこで分かったのはやっぱり自分でやってみないと結局分からないということです。その時その時の取引でいろんなことが起こる。それを結局は自分で解決していくしかない、マニュアル的に覚えて独立できるものではないと知りました。
6年修行し、このぐらいでええやろと思い、えいやーと平成9年独立。平成10年に結婚したこともあり、家内に助けられながら、ほそぼそとツテの紹介などで食いつなぎ、どん底に近い生活をしました。そうこうしているうちに町家ブームが来たんです。
左京区の大工さんが作業場に使っていた物件を、ヤフーの不動産に出したらすごい引き合いがありました。それが第1号ですかね。
次に京町家まちづくりセンターのメンバーに入れてくださいと売り込みに行きました。そして講師とかをさせてもらうことに。 財団法人の専門相談員になることで信用も付き、一度セミナーをすれば二、三人家主になってくれました。
また、京町家情報センターというNPOの発起人の一人になりました。そこを経由して、雑誌とかテレビとか出させていただくことに。これで広告ができてしまった。
奥さんが作ってくれたサイトも本当に役立ってます。今でも一番がサイトからのお問い合わせです。今は紹介のお客さんが多い。4割ぐらいは仲介のお客さんのご紹介。
現在は管理が50軒。更新だけやってるのもあります。それだけでつながってる家主さんもいて。管理報酬はそんなに多くはありませんが、安定して毎月入ってきます。それに賃貸の仲介、売買の仲介があります。売買の仲介は取引できると大きいですが、景気の変動に左右されるので、それだけをするのは今はかなりしんどいと思います。
次に町家に入る人を決めるのは、実は不動産屋です。なかには挨拶もしない、マンションみたいな感覚で借りる人もいて、そういう方には京都のことを最初にお伝えしています。
もちろん売上を上げないと食っていけないですが、それだけだと結局まちはどうなっていくのかなと思います。地域に溶け込める人に住んでもらいたい。だから人によってはこちらからお断りすることもあります。うちは物件情報は公表してなくて、実際にお会いしてから出させていただいてます。適度にクローズドでは行きたい。
これからもやっていきたいのはまちづくり。自分が仲介したところがカフェになったり美容室になったり。その変わりゆく様を見るとやりがいも責任も感じますね。