もともと奥さんが海外に住みたいということで、オーストラリアに一年住みました。
テレビや新聞の情報が一切ない中で、いったい自分が何をしたいのかということを考えた時に、色んな記憶が蘇ってきたんです。自分が好きだったこととか、字を書くことだったり、絵を描くことだったり…。
どうしたらそれができるんだろう?と思って、道端に座って字を書いてみようと思いました。
一週間ぐらいやろうかやるまいか葛藤があって。でも恥ずかしいけどやってみたいというのがあり、やってみたんです。始めてみたら、結構興味を示してくれて書いたものに対して喜んでくれてる。それが嬉しかったという記憶のあるまま日本に帰国しました。
何か、自分の好きなことが仕事に結びつくんじゃないかという感覚がありましたね。
島根に帰ってから、就職を考え、日本のものを海外に発信している会社ないかを調べるうちに職人.comを見つけて京都で面接を受けて、そこで京都に何かを感じ、思い切って移り住みました。
京都に来て一度は就職。周りの環境に合わせようとして。家族や親戚に認めてもらいたいというのがあって就職しましたが、やっぱり自分でやりたいというのがあり、3カ月でやめさせていただくことに。自分にとって無理がない形でやりたい。そこで京都でもオーストラリアでやっていたように、道端で字を書き始めました。
資格を持ってるわけじゃないけれど、「書家」って名刺に入れてみてやり始めたんです。今の現状からすると、徐々に現実が、「書家」に距離が縮まってきているような気がします。
パッケージや看板を書いてほしいという出会いなどもあって、2年ぐらいの間に広がってきました。応援してくれる方々が徐々に増えて感謝してます。
いざやろうということで、一歩踏み出したところで、現実を追いつかせそうとして、最初は楽しいって感覚で。次に苦痛な部分が来て、でももうちょっとやってみる。するとその上にまだあったりして。今までは苦痛なところでやめていたのだけど、それ以上を見たいという気持ちが今は勝っています。
書道はひとつの手段、一番嬉しいのは自分が書いてもらったことに対して喜んでもらうこと。感覚的に他者に喜んでもらうことが嬉しい。
先日老人ホームでお母さんにプレゼントしたいということで、字を書かせていただきました。プレゼントしたことによって、よりよい関係になったりして「ありがとう」って言葉が出る。普段の生活ではあまり出ない言葉ですよね。本当はもともとつながっている関係なんだけど本音でしゃべれないことって多い。本音でしゃべったらすごくいい関係になれると思います。
僕は、自分が生きてたことでよりたくさんの人が幸せなってくれたら嬉しい。自分がこの世にいて役に立ってるということ。他者とのかかわりを持てないものには興味が湧かない。
僕にとって、自分が生きてる目的、役割を確認したいというその手段が書道なんです。「自分に素直に生きたい」 と、勇気を出して一歩踏み出したことが良かったんだと思います。